私の生涯の回想記(坂本キミ)
坂本キミ「私の生涯の回想記」(第11回)

さてウェングラー先生は、ある日「今度新しく来日された宣教師が八王子にお客様で来られる」と言われました。当日が来てウェングラー先生らしく用意怠りなく備えておられたのに、その日はおいでになりませんでした。先生と私はがっかりして御馳走(ごちそう)にも手をつける気になれない程でした。

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モーセの十戒の学ぶ
モーセの十戒に学ぶ (12)

 イエスさまは、「一番大切な戒めは『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」です、また、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という戒めも同じように大切です」とおっしゃいました。(マタイ […]

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私の生涯の回想記(坂本キミ)
坂本キミ「私の生涯の回想記」(第10回)

昭和六年田中篤二兄か東京滝の川の聖霊神学院を卒業されて当教会に帰ってこられました。それで私たちはウェングラー先生と相談の上、私が導きに従って開拓にでかけることになりました。前より祈っていた事でしたが示されたのは「甲府」でした。

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モーセの十戒の学ぶ
モーセの十戒に学ぶ (11)

 この「欲しが」るという言葉は、単に欲しいという意味だけではなく、欲望とその結果の行為をも表しています。また、この語は「貪(むさぼ)る」とも訳されますが、もともと『「喜びを持つ」という意味で、本来自分の所有でなかった物を […]

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私の生涯の回想記(坂本キミ)
坂本キミ「私の生涯の回想記」(第9回)

ある日曜日の夜の集会の時でした。路傍伝道から引あげてのその夜の集会は大変に恵まれた集会でした。神の愛についての説教でしたが、その一人一人の恵まれた会衆の顔の中に一人、見なれない青年が一番うしろの隅の席で、小さくなっているのが見えたのです。

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モーセの十戒の学ぶ
モーセの十戒に学ぶ (10)

 「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない」とありますが、裁判における偽りの証言を意味しています。ここで、「隣人に対し」と言うところが気になるところです。貧しい者や在留異国人も含め、同民族、同じ神を信じる者、また […]

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私の生涯の回想記(坂本キミ)
坂本キミ「私の生涯の回想記」(第8回)

一九二八年(昭初三年)六月私は東京近郊立川のベレヤ聖書女学院を卒業しました。卒業式にはC・F・ジュルゲンセン師(マリヤ先生のお父上)マリヤ師、また弓山先生、ウェングラー先生方がご出席下さいました。私はこの日のために母が作ってくれた着物を着ていました。

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モーセの十戒の学ぶ
モーセの十戒に学ぶ (9)

 盗んではいけないことは、説明をしなくてもわかっておられることでしょう。それでは、クリスチャンになってから盗んだことが無いという人はどれほどいらっしゃるでしょうか。気がつかずに盗んでいる場合もあります。ここで、紙面の許す […]

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私の生涯の回想記(坂本キミ)
坂本キミ「私の生涯の回想記」(第7回)

神様は八王子伝道の為に自転車を二台備えて下さいました。…見た事もない女乗りの自転車が二台届きました。夏の休暇が終りお帰りになった先生が、さあ今から坂本さんは自転車を習いましょうとおっしゃってご自分も一緒に裏の静かな道路に出かけました。

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モーセの十戒の学ぶ
モーセの十戒に学ぶ (8)

 姦淫に関して、レビ記20章10節から具体的に書かれています。しかし、旧約聖書を読んでいますと、何が姦淫で、何がそうではないのかはっきりしないことが書かれています。ここでは、紙面の関係上細かく考察できませんので、第七戒に […]

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私の生涯の回想記(坂本キミ)
坂本キミ「私の生涯の回想記」(第6回)

新しい年号の昭和に入って今までの住居兼教会が改築され、当時としては立派な教会堂が建てられました。入口の石造リの門には日本ペンテコスト教会と表示され、教会堂の中はそれまでの畳と違い講壇があり、椅子が並び洋風の窓の高い合天上という工合で、全く気分は-新され、信者一同喜びました。

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モーセの十戒の学ぶ
モーセの十戒に学ぶ (7)

 これは単純明快な戒めです。殺してよいと思う人は普通いないでしょう。しかし、最近なぜ殺してはいけないのかわからない人が増えていると言われています。リセットすると生き返るテレビゲームに心が鈍感にされているのでしょうか。 人 […]

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