坂本キミ「私の生涯の回想記」(第5回)
大正十五年にウェングラー先生は米国より再び来日され、八王子市追分町に住まわれたのです。それでデスリーヂ先生と若いお二人の伝道師とは立川市に引越しになり、この町で伝道を始められました。
モーセの十戒に学ぶ (6)
最初の四つの戒めは、神さまと人間に関することでしたが、第五戒からは、人間同士の関係に関する戒めです。 そして、対人関係において、最初に親子関係が扱われているのには何か意味があるのでしょうか。 神さまが定められた父と母 […]
坂本キミ「私の生涯の回想記」(第4回)
しかし自分なりの理屈はありました。即ち信仰は拾てていません、毎日祈っています、聖書は読みます等と…。だがキリストの体である教会から離れて心に喜びがある筈がありません。私の心は日増しに渇いて苦しみ始めました
モーセの十戒に学ぶ (5)
安息日の由来 出エジプト記20章8~11節まで読みますと、「安息日」は万物の創造と関連があることがわかります。主は、全てのものを六日で創造し、完成されまLた。神さまは、それらを見て、よしとされました。そして、七日目には […]
坂本キミ「私の生涯の回想記」(第3回)
八月の夏休みも終り、九月一日の恐ろしい関東大地震があったのです。頂度昼食前でした。何とも現しようのない気味悪い恐ろしい鳴りがしだしたと思うと同時に、アッという間に体をほうり出す程上下震動が始まり、…
モーセの十戒に学ぶ (4)
戒めは覚えやすいように短くなっていますが、7節全体は、次のようになっています。「あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。」最後の部分に、「罰せずに […]
坂本キミ「私の生涯の回想記」(第2回)
さて私にとって全く珍らしいこの話の内容は、心を洗うものでした。「エプロンやハンカチは汚れても洗えるが一番汚れやすくてきたないのは人の心です。そのきたない心はうそを言います。いじわるをします。じゃ、それは何で洗いますか?」聞く大人達も考えていました。
モーセの十戒に学ぶ (3)
「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神」(出エジプト20:4)とおっしゃる神さまは、私たちを愛してやまない方なのです。そのように愛してくださるかたに心から愛を持って仕え、礼拝を奉げることはごく自然なことではないでしょうか。しかし、私たちは、そのあたりまえのことをできないということがあるのです。
坂本キミ「私の生涯の回想記」(第1回)
坂本キミ先生は、第2次大戦前から八王子を中心に、甲府および蒲田などで、熱心に伝道をなされた「生粋(きっすい)のペンテコステの偉大な伝道者」(弓山喜代馬師談)。…自筆の回想記を通して、共に泣き笑いしつつ、時代が変わっても古くならないものを見つめられれば感謝です。
モーセの十戒に学ぶ (2)
私たち人間は神さまと交わることができる人格を持った存在として造られました。私たちは、人との関係と同じように、神きまとの関係においても、誠実であることが求められているのではないでしょうか。
礼拝の中の賛美(10)
ある教会は、土曜日の夕方にワーシップ・チームの人々が集まって日曜日にする賛美礼拝(Praise & Worship)の練習をします。日曜日には礼拝の始まる少し前に来て、楽器やマイクを整え音だしをします。